大瑠璃川花火大会




夜の森というのもなかなかに乙なものであります。

(大瑠璃川花火大会が開催される25日、18時過ぎの夜道にカラコロ響く下駄の音色。黒地に紺と薄紫の菖蒲が涼やかに咲誇る浴衣を身に纏う一人の少女は、トンボ柄の水色の巾着片手に夜の道をせっせと歩く。文庫結びにされた葡萄色の帯でガラス細工の紫陽花が時折光った。幼く弾む足取りと一緒に揺れるふわふわの髪は左サイドでラフに結われ、そこにカスミソウのU字ピンがいくつか挿し込まれている。)あともう少しであります。ふふふ、我ながら穴場を見つけたのであります。(いかにもな祭りの装いにも関わらず、御代が祖父母宅を出発してから向かった先は商店街でも河川敷でもなく北花鶏にある森。祭りを楽しむ人々とは別の方角へ進んでいることもあってか、然程人通りは多くないが特に怖がった様子もなく足を進めること数十分。)…到着であります!(目の前に広がる森。目的地に到着した小柄な少女はくりくりの瞳を輝かせながら、何かを探すようにあたりをきょろきょろ見回していて、)


夜の森、急にガサッて言ったら狼か!っておもっとった。

(夏を満喫する!と言いつついつも逃しに逃している杵原。今回も祭りを忘れているようで、なぜ浴衣の人が多いのだろうと首をかしげつつ普段通りのTシャツにハーフパンツにスニーカーでロードワークに勤しむのだろう。日が陰ってきた頃、森に向かう浴衣を着た小柄な人物が森に入っていくのを見て)あれ?こんな時間に森いくん?一人?迷子やろか…(なにかあっては大事だと後を追いかけ森へ足を向けるのだろう。そして声を掛けようとした時に彼女の口から発せられた言葉に喉元まででかかった言葉を飲み込み、一呼吸つき)そんなべべ着て森に用事なん?(思いっきり不思議そうな顔で声をかけるのだろう)


いやいやいや、そこは熊さんかもしれないでありますよ!

(夜なのもあり暗さの増している森に視線を向けたままの御代だったが、ふと響いた声にくるりと体を反転させた。そこに飛びこんだのは誰かの胸。どうやらかなり身長差があるらしい相手の顔を見ようと顔をくいっと上げた。)こんばんは、少年!自分、この森で見晴らしのいい場所を探しているであります。確か丘があるとかなんとか。(不思議そうな表情の少年の疑問に対し、ぱっと朗らかな笑顔を浮かべ楽しそうに弾む声音で返答を告げた御代。おそらく近しい年齢であろう彼をじーっと見上げたまま今度はこちらが不思議そうな面持ちで小さく首を傾げる。)少年こそまるで何かの特訓中のような服装でありますな?…はっ!!昨今のなうでやんぐな人達はお祭りに浴衣は着ないでござりまするか?(自分とは対照的な格好の少年を見つめる大きな瞳は更に見開かれた。)


えー!いやいやいや!熊やったらガチで怖いやん!!

(こんばんはと視線をあげる彼女に対し、腰を折り視線の高さを同じぐらいにしようと努力するのだろう。そして、不思議そうな顔から笑顔にかえ)おこんばんは、お嬢ちゃん。うん、もうちょい行ったとこに丘はあるけど、なんで夜にそんなとこ行くん?おかーさんとか心配せんの?(彼女に向けていた視線を一度森の奥にスライドさせた後、再度彼女に合わせ眉をひそめながらしゃがみ、今度は己が彼女を見上げようか。そして服の事を問われたら己の胸元を少し引っ張り、「あぁ」なんてこぼしながら)少年はちょーっとソコまでは走ってこよかって思ただけで…ぶはっ!なうでやんぐって!お嬢ちゃんの方が…ん?待って、今日お祭りなん?(笑っていたかと思えば真顔で問おうか。そしてわなわなと震え出すのだろう)


そう考えると森はワクワクと危険がいっぱいでありますな!

(目線の高さが近くなると見上げていた顔を本来の位置に戻す。少年の親切な対応に「助かるのであります!」と笑顔を深めた。)もうちょいでありますか!情報提供に感謝するであります!ふふふ、心配かたじけないでありますが自分ちゃんとおばあにもおじいにも伝えてきたので大丈夫。(彼の心配ももっともだが問題ないとばかりに巾着を持っていない方の左手でピースサイン。それから心配してくれたことに対し深々お辞儀をするのだろう。)うむうむ、やはり特訓の予定でありましたか。お祭りの日に特訓とは殊勝な少年でござりまするな!…うん?今日は大瑠璃川の花火大会でありますよ。自分の身長では河川敷に足を運んでも人混みでろくに花火を見られないでありますから、ここの森にある丘で見物しようと思っていたのであります!(真顔で問い、なぜか震え出す少年。その様子にしばし考えを巡らせてから容易に届くようになった彼の肩を小さな手でぽんぽんと叩き、)…少年、まさか夏の一大イベントである花火大会を忘れていたでありますか?(素直さもあってか哀れみをたっぷり含んだ生温かい視線を向ける御代。まるで幼女に慰められる少年の完成だ。)


メルヘンな熊やったらわくわくだけやのに現実は厳しー…

(ピースを向ける彼女に同じようにピースを向けようか)ん?おばあとおじい?なん?まぁ平気なら良かった!(肩を叩かれるとより一層がっくりとして)特殊とか違うねん、素で忘れとってんって…めっちゃ楽しみにしとったのにぃ…(両手で顔を覆い空をあおぐ。そしてハッとして彼女を真剣な眼差しでみつめ)おじょうさん。今宵の花火、わたくし杵原めがご一緒しても構わないでしょうか。(急に見知らぬ男に同行を申し込まれても断られるかもしれない案件だが、そうまでしても誰かと花火大会に行くのを楽しみにしていたのであろう。そうこうしている内に木々の隙間から光の大輪が姿を見せ始め、少し遅れて花開く音が聞こえてくるのだろう)

BACK