(夏休み後半、ある日の午後。部活動に所属していない白鳥は、この時期あまり登校することがなかったが、今日はたまたま補講の為校内に訪れていた。午前中に英語数学を終わらせ、今日の予定は終了。やることもなければ誰かと会う予定もない。帰路に就く生徒達を尻目に、ふらふらと意味もなく徘徊して辿り着いた音楽室。)
…あれか、合宿中か。ラッキー。
(ぽつり、と独り言。いつもはその声も消えてしまうほど楽器の音で溢れる室内が今日は清閑で。ただなんとなく、グランドピアノに手をかける。ふうっと軽く息をつき鍵盤に手を添える。誰もがどこかで聞いた様な、至極有名な一曲を。)
(折角の夏休みというのに担任から呼びだされた後藤。お昼だからと担任は話を切り上げて出て行ったが、残された後藤の前には資料の束。担任の足音が聞こえなくなれば小さく溜息吐いて。お行儀悪く机に片肘ついて意味もなく紙を捲っていれば、どこからか聞こえてきたピアノの音。普段なら気にも留めないのだが、どこかで聞いたことがあるメロディーが気になった。荷物をまとめ、綺麗な音色に惹かれるように教室を出て。――音に導かれて音楽室の前へやってきたが、室内へ入る勇気はなく。そっと廊下の壁にもたれてその曲が終わるまで静かに聴いていようか。)
(それはこの学園の推薦入試で弾いた自由曲。あれからあまり弾いていなかったけれども、何度も何度も練習した為指はその流れを忘れてはいなかったようだ。一音たりとも違えずに弾き切って。)
…はー。やっぱりいいな。このピアノ。
(うっとりするような表情で、満足げに頷く。さて、そろそろ家に帰ろうか、どこか寄り道でもしようか。そんなことを考えながら、リュックを背負う。多少テンションが上がっていたからだろう、先ほどの曲を鼻歌交じりに、ガラガラと思い切って戸をあける。すると、)
…!
(別段ビビりというわけではないが、完全に油断していた。少女が廊下にいる。ただそれだけのことなのに、肩を大きく揺らして驚いた表情を見せ、そのまま硬直するのであった。)
(途中から目を閉じて音だけの世界に浸る。その口元は僅かに緩んで。と、曲が終わった。目を開けて明るさに数度瞬きを。)…結局なんの曲かわかんない。(思い出せないことに少々不満げな表情をしながら鞄からマグボトルを取り出して一口。小さく息を吐けば、ガラガラと扉が開く音。今まで邪魔をしないようにとこっそり聴いていたにも関わらず、中にいる人物の事をすっかり失念していた。後藤も驚いて僅かに目を見開いたが、自分よりも驚いたのだろう硬直する相手。)あの…なんか、ごめん。(その言葉には色々な意味が含まれていて。ばつの悪そうな表情で相手を見るのか。)
(先の驚愕の余韻が残る…というのは、彼の戯れの一つ。驚いたのは事実だが、それはほんの一瞬。けれども、なんとなく固まって、いかにも自分驚いてますよアピールをしているのだった。意味深な「ごめん」に、漸く表情を緩めて、くすっと小さく笑う)
いや、まさかだって誰かいるなんて思わなかったからさ…こっちこそごめん。
(過剰な反応を示したのはわざとだが、それは伏せたまま。相手の罪悪感を払拭するよう、とりあえず笑って見せる。)
それで、どうしたの?君、吹奏楽部?
(緩く首をかしげて、なぜこんなところにいたのかと問う。さては音楽室に用があったのに、自分のせいで入れなかったのか…などと腹の内で考えを巡らせながら。)
(言葉漏らせば表情緩めた相手。彼の小さな笑みに安堵して小さく息を吐いて、こちらも僅かに口元緩めるのか。)ううん。驚かすつもりはなかったんだけど、ちょっとぼんやりしちゃって。だから…(ごめんなさい、と続けたかったがそうしてしまうと相手は余計に困るだろう。だが上手い言葉も見つからず、結局は言葉尻を濁すことになってしまうのだ。――吹奏楽部かと問われれば緩く首を振って。)違う。教室にいたらピアノの音が聞こえたから聴きに来たの。なんか知ってる曲のような気がしたんだけど、最後まで聴いても題名思い出せなくて。悔しいなって思ってたところ。(悔しさからか珍しく子供のような表情になっているが、後藤本人はその事に気づいておらず。)…私、専門的な事はわかんないけど、綺麗な音だった。聴いてて心地よかったし。(なんて、これでも見知らぬ相手に対して精一杯褒めているつもり。)
(彼女の口から紡がれる言葉に、穏やかな表情で耳を傾ける。少しの沈黙、待ってみたが続きはないようだ。言いたいことはなんとなく理解も出来ているし、次いで何を言おうとしているかも予想はつくので、ここは「うん」と小さく頷いて微笑む。)
(こちらからの問いかけに首を振って否定の言葉を聞けば、ほっと安堵の表情を見せ、「ああよかった」なんて小さく呟いた)…知ってる曲だったか。まあ結構テレビとかで流れるからね。題名はショパンの練習曲作品10第3番ホ長調。これで痞えがとれたでしょ。(少し幼い表情を見せる彼女に、ちょっとした悪戯心がわいたようだ。勿論間違いではないのだが、敢えて広く知られたタイトルは伏せておく。意味もない意地悪。)…それは、どうも。ありがとう。(あはは、なんて笑っているつもりが少しかたい表情で右手で頭を押さえ。ガラにもなく照れているらしい。)
…あ、そういえば、俺もう学校に用ないから帰るけど、君はどうする?えーっと……、あれ、そういえば初対面だったなあ。俺、白鳥春樹。お嬢さんお名前は?
(濁した言葉に返された微笑み、相手が自分の気持ちを酌んでくれた事を察した。「ありがと、」なんてぽつりと呟きこちらも微笑を返そうか。)うん。テレビで結構頻繁に流れてるし、題名も何回も聞いたことあるはずなんだけど……あ、そっか。正式にはそういう題名なんだ。(後藤が思い出せずにいたのは通称とでも言うのだろうか?広く一般に知られている曲名だったのだが、彼が教えてくれたのが正式名称なのだろう。しかし彼がわざと正式名を教えたのは明らかで。その事に不満を持てば良いのか、新たな知識を手に入れられた事に喜べばよいのか複雑な表情を。)…どういたしまして。(少々固い相手の表情に一瞬気を悪くしたのかと思ったものの、気を悪くさせるような言葉を言った覚えはない。不思議そうに相手の顔を見た。)私ももう用事ないし帰る。…あ、そういえば。後藤ゆりあ。よろしく、白鳥くん。
(彼女の小さな感謝の言葉にも、図々しくも「うん」なんて再び頷いてみては微笑み合って)
まあー、度忘れすることってあるよな。喉の辺りまで来てるのに出てこないとか。…そうだよ?(なんとも複雑な表情をする彼女に、こらえきれず「ふふふ」なんて笑ってみせる。けれども忘れてはならない、彼女とは初対面なのだから、あんまり意地悪をしすぎるのも良くないだろう、と。)皆が知ってる題名は「別れの曲」かな。まあ日本でついた愛称みたいな?(人差し指を立てて、ちょっと得意気である。)もー、そんな目で見るなよ。エッチだなー。(不思議そうに見てくる表情に、照れていた自分がますます恥ずかしく感じ、頬を少し赤らめて両手で顔を隠す。)
そうか。どっか寄り道でもする?後藤さん。…それとも名前で呼んだ方がいい?(…どうやら彼の中ではもう一緒に帰る、ということになっているらしい。)
うん。そんな感じ。聞こえてきたときからずっとだからなんか気持ち悪い。(なんて苦笑して。己の複雑な表情は隠そうともしていないので相手に気づかれた様子。それを見てなのだろうか?笑いだす彼に何だろうと不思議そうに首かしげて。)別れの曲…そう、それ!それが言いたかったの。すっきりした。ありがとう。(やっと胸のつかえが取れたことで嬉しそうに。続いた彼の豆知識は「へぇ、そうなんだ。元々そういう名前がついてたんだと思ってた。」と感心しながら聞いて。)……は?(彼の様子に怪訝な表情。正直、急に何をと思ったが流石に初対面の相手にそこまでは言えず、ただ様子を伺うだけに留めるのか。)うん、良いよ。ちょっとお腹空いたから何か食べたいかな。どう?どっちでも良い。白鳥くんが呼びやすい方で。(一緒に帰るという事に同意の意を込めてそんな提案を。呼び名に関しては、自分の事を呼んでいるとわかるのならば特に気にしない後藤。好きなように、は言葉の通りの意味である。)
わかるわかる。知ってるはずなのにすっと出てこないと、あーっもうっ、ってなる。(「あーっもうっ」のところだけ妙にハイトーンで、言った後になんだかオカマみたいだったな…とぼんやり。先ほどの表情とは打って変わって、素直に嬉しそうな彼女を見ればこちらもにっこりとほほ笑む。)どういたしまして。(「映画の影響らしいよ。その映画は俺も見たことないんだけどさ。」と付け加え。)………うん?(妙に間が空いた返答に、同じくらい間をおいてみよう。少しふざけすぎたか、これ以上何か言うのもこれから築く関係性に響くのか。この話はこのまま流すことに。)あ、ほんと?じゃあさ、ファミレス行こう、それかフレディ。どっちでもいいや。…ゆりあは、どっちがいい?(どっちでもいい、なんてお言葉に甘えて。名前を口にする前に間が空いたのは、「これで先輩だったらやばいかなあ、ま、本人が良いって言ってるんだからいいか」と自己完結した模様。)
そうそう。地団駄踏みたくなるっていうか…でも実際は心の中だけで行動には出さないけど。キャラじゃないし。(なんてくすりと笑って。基本的に感情が表情にはある程度出てしまっているのは仕方ないにしても、行動には出さないようにしている後藤でなのである。彼のハイトーンボイスには驚いたものの、どう反応してよいかわからず目を瞬かせるだけで。)へぇ…映画の影響なんだ。そういえば映画なんて長らく観てない。その映画、観てみたいかも。題名知ってる?(と。彼が映画の題名を教えてくれれば素直に礼を言い、もし知らなければ後で調べてみよ。と言うのだろう。)………。(彼の反応、勿論ふざけているのはわかっているが、どう対応すれば良いのやら。流石に初対面の相手に「バカ?」とは言えない。彼がこの話題を流してくれたようなので、有難く乗っかろう。)んー。ファミレスが良いな。私、駅使うから駅前のとこが有難いけど、白鳥くん平気?(等と話しながら学校を後にして、二人でファミレスへ。そして昼食を摂りながら。時折後藤がからかわれつつ、他愛のない話で盛り上がり親睦を深めるのだろう。)