(西日が差し込み始めた図書館内の窓際席に腰掛けながら、読書に勤しむ男の影が通路に向かって伸びている。然程動きが無いため一見真面目に読んでいるかのようにも見えて、その実目線は同じページを行ったり来たりしている模様。もし他にそのページを覗き込む者がいたとしたなら、活字の上で蜘蛛が一匹跳ねる様子を目にするだろう。男は別段邪険にするでも愛でるでもなく、蜘蛛が自ら移動するまでどうやら見守るつもりのようだ)蜘蛛吉、蜘蛛助、蜘蛛太郎……蜘蛛左衛門も悪くない…。(見つめるだけでは暇なので、戯れに蜘蛛の名前を考えだした。その低い声音は静まり返った図書館内に呪文の如く響くだろうか)
(園芸部として花壇の水遣りをしている時に見かけた青い花があった。よく道端で見かけるので雑草と言ってしまえばそれで終わりだが「雑草という名の草花は無い」という考えをモットーに図書館で調べようと、水遣り後に図書館へと足を伸ばした)ええと…確かここに(慣れた様子で植物図鑑を幾多の本棚の中から見つけ出すと、何冊か抱え席を探していれば呪文のような低い声が聞こえビクリと肩を竦めた)…おまじない、でしょうか(自分を奮い立たせるかのように一言呟き、声の主を確かめるべく声を頼りに図書館内を足音を忍ばせゆっくりと歩を進めた。窓際の席で声の主を見つけじっと何かを見つめている様子に、そっと横から覗き込めば本の上で跳ねる蜘蛛が目に入りピシリと動きを止めた。蜘蛛だけはどうにも苦手なのである。窓際から覗き込んだ為、宮元の影が本に移りこんでいるかもしれない)
(近くを通る誰かの気配は感じていたが、よもやこちらへ向かって来るとは思いも寄らず、少女の影が手元の本に移り込んでも視線は蜘蛛を捉えたままだ。しかし蜘蛛の方はすぐさま異変を察知したのか突然ピョンと大ジャンプ、丁度彼女の足元付近に着地しようとするだろう。そこでようやく男の視線は蜘蛛から離れて少女の方へ)どうした?そこのゆるふわ娘…蜘蛛之進なら譲ってやるぞ。そいつは俺よりお前の方が好みのようだ…。命名までしてやったのに薄情だろう?…蜘蛛之進め、俺の分までゆるふわ女子とせいぜいイチャイチャするが良い。(晴れた日の湖面のような口調で告げるもほんのちょっぴり残念そうに、少女の周りをうろちょろしだした蜘蛛を指差し嘆息漏らす)
(蜘蛛が華麗な大ジャンプを決めれば、覗き込んだ体勢からすぐさま身を引き硬直したように姿勢よく一直線に立ち、足を動かす事もままならず視線だけが蜘蛛を追いかけて)…蜘蛛之進ってこの子の名前ですか?いえ!譲っていただかなくても間に合ってます。寧ろ熨斗付けてお返しします。お名前付けるほど可愛がっていらっしゃるのなら、私が出る幕は無いと思うんです(蜘蛛を視線で追いながら、心の中では来ないで欲しいと願いながら、思考が働かず支離滅裂な言葉を返して)あの、ですね…助けてください(蜘蛛が宮元の周りを動いていることで足は竦み、眉尻を下げ彼の方へと視線を移し助けを求めたが、主語が抜けていたので伝わるのだろうか)
(事情はさておき真っ直ぐ伸びた少女の姿勢を目にすれば、その立ち姿に影響されて自然とこちらの背筋も伸びる。すると途端に乾いた音が凝り固まった首から聞こえ、僅かに眉を顰めたもののすぐさま頷き返しつつ)ああ、古風で男らしい名前だろ。…その気遣いには感謝する、しかし自分に気のない相手を引き止めるのは時間の無駄だ。俺はお前達の事を祝福こそすれ、妬むようなみっともない真似はしないと誓う。だから遠慮はしなくて良いぞ?(微妙に意思の疎通は出来ていないが、全て良かれと思った上での発言であり、続く「助けてくれ」との求めに応じて迷わず蜘蛛を捕まえながら)俺に蜘蛛之進との絆を深める助けをしろ…と言うんだな?それならやはりスキンシップが一番だろう。…さあ、手を出してくれ。(促すように蜘蛛を握った拳を相手に近付ける)
(姿勢を正す彼の首から聞こえた乾いた音に、長い間蜘蛛と戯れていた事が伺えて、集中力のある人なのだと、別方向で感心にも似た気持ちで彼を見つめて)そうですね、古風でいい名前だと思います。あの、彼もきっと私に興味があるわけじゃなくて、ただ自由を謳歌したいだけなのだと…。決して遠慮しているわけでは…(相変わらず思考回路は上手く繋がってくれず、言葉が出てこないが、それでも何とか伝わるようにと言葉を返した。彼が蜘蛛を捕まえれば、ほっと小さな吐息が漏れ肩に入っていた力が抜けた)い、いえ。その助けではなく…(続いた彼の言葉に、じり、と一歩下がり、握った手を近付けられた瞬間ぱっと近くの本棚に身を半分隠し、ぎゅっと数冊の図鑑を握り締めながらそろりと様子を窺って)…すみません。蜘蛛、苦手なんです。貴方が大切になさっている蜘蛛之進ですが…私は仲良くなれそうにないです(眉尻を下げ小さく苦笑した)
(まさか己の集中力に感心されているとは知らず、少女の視線を受け止めながら片手で呑気に首を揉む。その後名前に関する同意を得れば、当然だとでも言わんばかりに小さく鼻を鳴らしてみせて)…愛より自由を選ぶのか?ま、当事者同士納得済みで決めた事なら仕方がないな。(出口を求めて暴れる内に指の隙間を見つけた蜘蛛が、そこから脱出しようとするも男に気付かれ敢え無く御用。静かなる攻防戦は開始と同時に終わったようだ。ふと意識を戻すと棚に隠れる少女の姿が視界に入り、訝しそうに目を瞬いたが訳を知るなり双眸伏せて)そうか、苦手だったのか…それはすまない事をした。誓って悪気は無いのだが、俺はどうにも人の気持ちに疎くてな…。(詫びを入れつつ窓から蜘蛛を外へ出し、何もいないとアピールするため両手の平を掲げる仕草)ほら…もう大丈夫だぞゆるふわ娘、蜘蛛之進なら出て行った。これでお前も心置きなく用事を済ませられるだろ?(明け放たれた窓から吹き込む涼しい風をその身に受けて、乱れた髪を整えながら少女の顔を眺め遣る)
おそらく今の彼にとっては自由のほうが重要なのです(当事者同士、と言われれば己だけの意見だが、いかにも同意を得ていると言わんばかりに力強く頷いて。棚の影から彼の様子を窺っていれば、双眸を伏せる姿が目に入り、申し訳なさそうに眉尻が下がり)いえ…悪気がないのは分かります。私も、苦手という事を初めから言葉にしていれば問題は無かったのに、申し訳ありません(窓から蜘蛛を逃がす様子を目で追いながら謝罪を口にした。彼の両手を見て蜘蛛が居ない事を確認し、大丈夫と言われれば、図鑑を両手に抱えたまま本棚の影から姿を現し改めて彼の傍に立ち)ありがとうございます、助かりました。用事、と言っても植物を調べようとしていただけですので急ぎではないのです。「ゆるふわ娘」って私の事ですよね?私は鈴樹…宮元鈴樹と言います(彼の髪が風に揺れると同時に、夕方の陽の光を受け色素が薄いため薄い茶色にも見えるであろう髪が風で揺れ、そっと片手で押さえながら彼を見つめ名を問うかのようにゆっくりと一つ瞬いて)
恨み言の一つも言わず、心静かに別離を受け入れ相手の意思を尊重するか…正に女の鑑だな。……お前も聞いたか蜘蛛之進、逃がした魚は殊の外大きそうだぞ。(蜘蛛の姿が直接見えるわけではないが、まだそう遠くへは逃げていないと判断しつつ、聞かせるように言葉を発してチラリと一瞬窓辺を見遣る。続いて何の落ち度もないのに謝る少女へ視線を戻し)気を遣ってくれたのだろう?鈍い俺でも流石にそれは見抜けるさ。お前はちっとも悪くない。だから謝り合戦するのはよそう。(以降の謝罪を遮るように片手をヒラリと振ってみせ、無造作に閉じた本を除ければ丁度一人が座れる位の空きスペースが出来上がる。勿論他にも座れる席は沢山あるため隣を強要する気はないが、折角こちらへ来てくれたので指差し合図を送ってみたり)植物を?何か珍しい草やキノコを発見したか?……その通り、言動がおっとりしていて尚且つ見た目もふわっとしてる。だからお前はゆるふわ娘。――名前に鷲と鷹が共存している俺が言うのもおかしいが、お前もなかなかインパクトのある名前だな。俺は三年生の鷲ヶ峰…征する鷹で征鷹だ。(無意識の内にふわっと要素の一つでもある少女の髪に目を遣りながら、書面に書かれた事実をそのまま伝えるように、抑揚不足の小さな声で「綺麗な髪だ」と呟いた)
蜘蛛之進には私よりもずっと素敵な、蜘蛛之進にお似合いの相手が現れますよ、きっと(蜘蛛の姿が見えなくなった安堵感からか、くすりと小さく笑みながら彼の本気とも冗談とも取れる言葉に乗るように言葉を添えた)気を遣ったというか…驚きと恐怖で頭が回らなかったと言うか…(しどろもどろで言い訳を述べ再度謝罪の言葉を口にしようとすれば片手がヒラリと振られ、頬が緩み「ありがとうございます」と礼の言葉に替えて。指差された彼の隣の空いた場所へ自然と座り、抱えていた図鑑を机の上へと置いて)珍しいものではなくよく目にする植物なのですが、名前を知らなかったので調べようと思ったのです。可愛らしい青い小さな花を咲かせるのですが…(言いながらパラリと慣れた様子で図鑑を開き、間もなく見つかり「これです」と指差した先には『ムラサキツユクサ』が載っているだろう)…否定できないですね、ゆるふわ(よく言われる事を言われ、言葉とは裏腹にくすりと笑って)そうなんです…なので、是非鈴と呼んでください。鈴樹だと「鈴木さん」と間違われるんです(「鈴木」と指で漢字を書き、懇願するかのようにじっと彼を見つめて)私は一年生なので、鷲ヶ峰征鷹先輩、ですね。征鷹先輩とお呼びしてもいいでしょうか?(小さく首を傾げれば肩からふわりと髪が滑り落ち、彼の小さな声にパチリと大きな瞳を瞬いて)ありがとう、ございます(夕暮れに染まる頬の赤みを僅かに増しながらふわりと恥ずかしそうに、だけどどこか嬉しそうに微笑んだ)
(自分を越える素敵な相手が表れるとの言葉に対し、面と向かって否定はしないが肯定する気も無いようで、「そうなる事を期待しよう」と無難な返事で締めくくる。次いで一生懸命事情を語り、最後にお礼の言葉をくれた少女に微笑み返したものの、怠惰を極めた表情筋は口を数ミリ歪めただけで、それも相手が瞬きすれば見逃す程度の短い時間、少女が隣へ座る頃には跡形も無く消え去るだろう。先刻座席を示した指は、そのまま机の上に置かれた図鑑の方へとスライドされて)なるほど…それで植物図鑑というわけか。……ああ、これなら俺も見た事がある。お前と違って調べもせずに、雑草の一種と数えていたがこういう名前だったとは…お陰で一つ利口になった。お前は花が好きなのか?(ふとした疑問を口にしつつも視線は図鑑の上を這い、興味深げに説明書きを小さく声に出して読む)養殖ならばともかくも、自他共に認めるゆるふわ女子は今時貴重な人材だ。天然もののゆるふわ女子と出会えてとても嬉しいぞ。――鈴?分かった、そうしよう。俺の事は好きに呼んでくれ。今後ともよろしく…してくれるならありがたい。(控えめに言って独創的な思考回路が災いし、多くの場合初対面から敬遠されてしまうため、途中で一拍間を空けながら相手の意思を目線で問うた)……どう…いたしまして?(反射的に紡いだ言葉は何故だか若干疑問形。未だかつてこの手の反応をされた事がないせいで、どういう風に返して良いのか考えあぐねている様子)
(話すときには相手を見つめるのが癖なのか、己の言葉に僅かに相手の表情を緩めたのに気付けば、目が緩やかな弧を描きにこりと笑顔が浮かんだ)はい、よく道端で見かける花だと思います。「雑草」と言ってしまえばそれまでですが全ての草木に名前があるので、調べてみようと思ったのです(図鑑の青い花をそっと指先で撫で、同じページの花にも興味深そうに視線を移して)あ、はい。花は好きです。園芸部に所属しています(質問の声にはっとしたように手を引っ込めて応えながらも、視線は図鑑の上に注がれたまま、彼が小さな声で説明文を読むのを時折頷きながら聞いて)養殖のゆるふわ…ですか?(思わずきょとんと一つ瞬いて彼の言葉を反復して)天然ものとの貴重な出会いだったわけですね。喜んでいただけたのなら何よりです。はい、こちらこそよろしくお願いします、征鷹先輩(彼の一拍の間を気にした様子もなく相手の視線を受け止め、にこりと嬉しそうに笑顔を返した)あ…えーっと、征鷹先輩は何を読まれていたのですか?(相手の戸惑いを感じ風に揺れる癖のある髪を押さえながら、先程除けられた本を指差し問いかけ話題転換を図った)
(自分は虫に彼女は花にと興味を向ける対象物の違いはあるが、「全ての草木に名前がある」との言葉に対し、男も何か感じたようでピクリと睫毛を震わせながら)……俺は…俺は蜘蛛之進が何蜘蛛なのか調べようとも思わなかった。一方的に名前を付けて勝手に満足していただけだ…。鈴、お前のお蔭で目が覚めたぞ。いつかどこかで再会したら、次こそあいつに相応しい名で呼ぼうと思う。(割とどうでも良い事だったが本人至って真剣である。相変わらず変化の乏しい表情筋を補うように、肘掛部分を掴む片手にグッと力が籠っていたり)園芸部か…いくら花が好きとはいえ、毎日花壇に水をやるのは大変だろう?俺なら三日坊主だな。(よく続くものだと溜息交じりに感心しつつ、一方己の飽き性ぶりをちょっぴり反省しているらしく、眉間に薄っすら皺を寄せれば頬杖ついて)ああ、天然ウナギを遥かに凌ぐ価値がある。……いかん、ウナギ食いたくなってきた。ま、それは後程財布に相談するとして…征鷹先輩とはなんだか少々くすぐったいな。呼ばれる度にしばらくソワソワするかもしれんが温かい目で見守ってくれ。(言葉通りにこめかみ辺りを指で二三度引っ掻く仕草。次いで突然話題が変わるもこれ幸いと視線を逸らし)時代小説だ。最近は親子二代が剣客として活躍する話を中心に、その他捕り物系や忍者物まで片っ端から読んでるぞ。中でも特にお勧めなのは…(その後もきっと時間の許す限り楽しい会話が続くだろうか。閉館後も帰り道が同じ方角であれば、途中まで同行を申し出たかもしれず――)