体育館

あ、あの雲。餡パンに似てるなあ。うん、似てる。

昼休みになった。この時間は決まってある場所へ足を運ぶ。春は登校や下校以外、杉花粉の舞う屋外へはなるべく出ないようにしている向井だが、今日も箱ティッシュとコンビニで買ったパンを持って、一人教室を出た。タマネギやチョコレートなんかが練り込んでいない、“安全”なパンを持って―)おいで、ほら、今日も持ってきたから。食べるといいよ。食べるといい。(野良猫二匹の前へしゃがんで、先ほどのパンを千切り地面へ置く。ある場所とは、この体育館裏の事である。この猫達は一ヶ月前、ここでいつものように昼食を取っていた向井にどこからか寄ってきた野良猫だ。一匹は黒斑、もう一匹はトラ模様。二匹とも痩せていたので、その時食べていたおかかのオニギリをあげてやるとムシャムシャと食べて、次の日にもそこへ現れるようになった。今ではこの二匹に食べ物を与えてやるのが向井の日課である。一生懸命になって食らう二匹を見て微笑むと、花粉予防のマスクを下し、自分も昼食を始めた。二匹のすぐ隣に腰を下ろしていつもの餡パンをモソモソと食べ始めると、黒斑の一匹が自分の膝へ前足を乗せて、ニャア、と鳴いた。)え?…足りなかったの?(一匹は既に昼食を終えて、自分のパンをジッと見つめていた為、一口かじっただけのそれを千切り与えて、透かさず食らいつく姿にやっぱり微笑む。)お腹、空いたなあ……。(パンに夢中な猫を撫でながら腹を鳴らし、時にはティッシュで既に赤くなった鼻を噛むなどして、空を見てそう呟いた。)

僕、餡パンなら粒あん派ー。

(昼休みは女子生徒の悩みを聞きながら一緒に昼食を摂ることが多い西野だが今日は珍しく一人のようだ。本でも読みながら…と図書館に寄ってきた為に昼休みが始まってから少々時間が経っている。ともあれここなら静かに過ごせるだろうと来たのは体育館裏だがどうやら先客がいたようだ。猫を膝に乗せている彼の姿に暫し思案していると何やら聞こえてきた音。自身も時折鳴らすその音に心は決まったよう。)あのさ、猫、触らせてもらっても良いですか?(なんて猫を口実に彼に声を掛けるのか。)

粒あん、おいしいよね。食べたいなあ。

(呆然と流れる雲を見つめている向井。もはやこうしているしか他に無い。ふと、空の青と、雲の白だけだった視界に、金色が映り込んだ。)やあ、こんにちは。ごめん。(ごめん、と言うのは返事の前に一度鼻をかみたいらしく。ティッシュを数枚抜き出して鼻をかみ、ごめん、とまたそのノイズに対しても謝罪した)どうぞ、トラとブチです。二匹ともメスのようだよ。(どうやら二匹に、見たままの名前を付けていたらしい。紹介を終えると貴方のフワフワと柔らかそうな金髪をもう一度目に写し、「きれいだ」と口にした。前後も、主語もない為、何に対して褒めたかいまいち分かりにくいが─)

おやつにぴったりですもんね。餡パン。

(声を掛ければ挨拶とともに告げられた「ごめん」との言葉。どういう意味だろうと思ったものの後に続いた動作に納得して。)花粉症ですか?見てるだけで大変そう。(と自身は花粉症の大変さを知らないためにそんな言葉しか言えず。「気にしなくって良いですからねー。」なんて付け足して。)トラ、ブチ、初めましてー。僕とも仲良くしてくれるー?二匹とも本当可愛いな。(と楽しそうに笑み浮かべて撫でながら。そして聞こえてきた言葉。一体何に対して言っているのかわからずにきょとんとしながら後ろ振り返って。背後に何もないことを確認すれば「何が綺麗なんですか?」と不思議そうに。)あ、もうお昼食べました?僕まだなんでここで食べちゃって良いですか?(とコンビニのビニール袋を持ち上げて見せた。)

あ、あそこの雲はブチの模様に似てる。ほら。

うん。花粉症。そうだね、気にしない事にするよ。せっかく君と話しているんだもの(付け足された言葉に頷き、再び鼻をティッシュで覆いながらそう言って)トラもブチも君が好きみたいだ。猫は良いよね。癒される。(昼食を食べ終わってあなたを前にした二匹の様子を見て微笑し)うん。きみの髪。きれいだと思ってさ(目の前の光景を眺め、変わらぬ口調で、なんともなしにそう言った。向井は相手が異性だろうと同性だろうとこんな具合に褒める癖がある。付け加えに「いい色だ」と言って微笑する向井だが、思った事だけを口にするだけであって、そこに余計な感情は全く無いのだろう。)えっ、あ、う、うん…。どうぞ。(目の前にぶら下がったレジ袋を見るなり、ぐう、と腹が鳴った。「う」、と声を出して赤面し)あ、あの。少しだけ分けてもらえるとうれしいんだ。実は食べてなくて。勿論お金は払うよ。後からになるけど……いや、嫌ならいいんだ。その、つまり、無理にとは言わないんだ。(猫に昼食を取られ、金もなく、呆然としていた向井だったが、目をそらしながらもマスクで隠した口を精一杯動かした。つたない言葉だがどうやら必死である。)

本当だ。トラみたいな雲も見つけたいですねー。

そう言ってもらえると僕も嬉しいですよ。あ、でも鼻かむの我慢しないでくださいね。(へらりと笑顔を浮かべた後に相手の様子を見ながらそんなことを。)飼い主さん?がそういうならそうなのかな。僕も好きだよー、可愛い子に好かれて嬉しいな。(にこにこと嬉しそうな表情を浮かべてまた二匹をそっと撫でて。「猫に限らず動物は癒されますからねー」と続けた。)ありがとうございます。これ地毛なんですよー。(そろそろ染め直さなければいけない時期だ、根元には少し黒い髪が覗いている。明らかに嘘とわかるその言葉は西野なりのユーモアらしい。――声を掛ける前から気付いていた彼の空腹、勿論昼食を分けるつもりで声を掛けたのだ。必死な彼の姿にくすりと笑いながら袋からパン取り出して彼の前に並べた。)…僕、今日多めに買っちゃったんですよねー。焼きそば、コロッケ、卵サンド…どれが良いですか?(「あ、甘いもの好きならチョコレートもあるんでデザートにでも。」と遠慮はいらないとでも言いたげな表情で彼に勧めるのか。)

凍結