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(続く曇天は、女の心にも影を差す) |
(朝から続く曇天。傘を持って出るか、折り畳みにするか…朝、玄関先で数秒思案した後に、手に取ったのは長傘だった。――帰りのSHR中、後藤のスマホが震える。担任の視線がこちらに向いていないのを良い事にメッセージを確認すれば、相手はクラスメート。『相談。放課後、奥の空き教室で待ってる。』ちらりと送ってきた相手の方を見遣れば、素知らぬふりをされて。隠れて小さな溜息を吐けば『10分だけで良いなら。今日バイト。』と返信。可愛らしいウサギがOKの看板を持ったスタンプが送られてきたのなら、意識は続いていた担任の話の方へ。――そして、生徒たちが散り散りになり始めれば、後藤も何気なさを装って鞄を手に教室を出ていく。向かう先は、約束の空き教室。)……相談って何?(あまり時間はない。先に来て椅子に座っていた相手に率直に切り出す。「実は、」続いた言葉は相談ではなく告白だった。)………ごめん。(それだけ言って、まだ立ったままだった後藤は視線を足元に。「知ってた。伝えたかっただけ。じゃあな、バイト頑張れよ。」そう、相手が嫌味のない笑顔で言うものだから、きまりが悪い。そんな後藤の心情を読み取ったのか、相手は直ぐに立ち去り、空き教室に取り残される。)…はぁ。(漏れる、大きなため息。すぐ傍にあった椅子に座り、机に鞄を置いてそれに凭れ掛かる。ポケットから取り出したスマホ、ある人物とのぐるちゃを開きその画面を見つめていた。)報告、した方が良いのかしら。
――― 渡辺 俊弥(わたなべ としや) 2-3。サッカー部、FW。明るくクラスの中心にいるタイプ。さりげない気配りが出来るので、学年問わず友人は多い。後藤とは2年連続でクラスメート。 | |
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(本格的に梅雨期を迎えた今日此の頃、いつ何時空を仰いでも抱く感想は一つ…今にも降り出しそうである、と。朝降っていなくとも下校時に降らない確証など無いのだから、此の時期は傘を携え徒歩通学に限る。授業中に、休み時間中に、再三窓を窺う。未だ沈黙しているが其れが信用出来ない事を知っている。今日告白するのだと、三組の生徒から告げられたのは昼休みの事。取り立てて仲が良い訳では無いので、自身にというよりは一緒にいたサッカー部のメンバーに伝えたというのが正しいかも知れない。「へえ、頑張って。」と薄く笑って告げたが、向いに座る友人は苦笑を浮かべていたのがやけに印象的だった。放課後になっても雨は降っていない様で、珍しい事もあるものだと降られる前に帰るべく足早に教室を出たのだが、緩いウェーブがかった茶髪の少女が空き教室へ向かうのを見て仕舞えばそう云う訳にもいかなくなってしまう。趣味が悪いのは重々承知で彼女に気取られぬ様に静々と、引き戸を少しだけ開けて空き教室を覗き見る。悪い予感は的中するもので、其処に居たのは昼休みに教室まで報告に来た男子生徒だった。告白と、其れを断る言葉、そそくさと退却する男子生徒。自身の存在を知られない為に一旦は隣の教室に逃げ込み再び空き教室の前へ戻ると、余程急いでいたのか扉は開け放されていて、彼女の溜息が耳へと届く。机上の鞄に凭れかかる彼女にそうっと近づこう。後方から見えるスマホの画面と、その呟きを耳にすれば、)…誰に、何を?(と直ぐ後ろに立って静かに問う、其の表情はいつもと何ら変わらない得意の笑みで。窓の外は矢張り、鈍色の雲に覆われ今にも降り出しそうだ。)
――― 渡辺 俊弥(わたなべ としや) 2-3。サッカー部、FW。同じクラスにいるサッカー部のMFと仲が良く、時々休み時間に遊びに来ている。白鳥とは共通の友人を通しての仲なので、会えば挨拶をする程度。 | |
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(報告をした方が良いか悪いか。するとしたらどう切り出せば?しないとしたら自分はこのことを隠し通せるのか?クラスメートの気持ちは有難かった、ただそれだけ。相手には悪いが、一人になった今考えるのは別の相手の事で。)!!(耳に入ってきた声にパッと身体を起こしてスマホの画面を下にして机に置いたのは、ただの反射だった。振り向きながら先程の声の主を自分は良く知っていると気づけば、普段よりも僅かに目は見開かれて。この表情が驚いてる証拠だと、恐らく彼は知っている。)……しらとり、くん。(掠れた声は、悪戯がバレた子供のようで。疚しい事は何もないのに。)見てたのね。(それは問いかけというよりも断定だった。それはきっと偶然なのだろうけど、彼の表情と言葉でなんとなく気付いてしまったのだ。)
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(元来悪戯好きの性質故に驚かせようと後方から突然声を掛けるのは珍しい事では無いが、今回ばかりは勝手が違っていた。普段と変わらぬ笑顔を浮かべている心算でも双眸には上手に感情を宿せておらず、其れは彼女にも違和感を与えてしまうかも知れない。スマホの画面を隠す様に机に置き此方を振り返る彼女の顔ばせも、自身の名を紡ぐ掠れた声も、後ろめたさを体現した様だと思った。)御邪魔だったかな。(くすっと小さく笑み乍、露程も思わぬ意地悪な言葉を発してしまう。何かに苛立っているとすれば今日の昼休みの自身の軽率な発言に対してであって、彼女に一切の非が無い事等解っているのに。)…帰ろう、フレディまで送ってく。(余り時間が無い事も知っているから、此処での話は梶Xに一先ずは彼女のバイト先に向うべく下校を促し彼女が立ち上がるのを待つとしよう。)
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(画面を隠すようにして置かれたスマホ。それに意味があるとすれば、彼の事を考えている自分を誰かに見られたくなかった…それに尽きるだろう。彼に会えることは嬉しい、だけれど気持ちの切り替えが出来ていない今顔を合わせるとは思ってもみなかったから。)………(誤解を与えてしまった。やっとそれに気付いたのは、彼の言葉に棘があるように感じたから。言葉自体にも、言い方にも。)待って、(「帰ろう。」という彼を制して立ち上がれば、己のスマホを彼に手渡す。彼の手の中にあるスマホ、隣から手を伸ばしてボタンを押し、暗くなった画面に光を点す。)0125。(早口で伝えるそれは、ロック解除のパスワード。その数字が何を意味するか…解らないほど彼は馬鹿ではあるまい。彼にスマホの操作をするように促そう。そしてロックが解除されれば現れるのは、彼とのぐるちゃ画面。文章を打って消してを繰り返していたから、何もメッセージは書かれていないけれど。彼がスマホを操作している間、後藤は彼に背を向け、先程凭れ掛かったせいで潰れた鞄の形を直しているのだ。勿論、それはポーズであって、意識は背後にある彼の気配に向いているのだが。)
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(心底の澱みを隠しきる事は叶わず、そして其れは彼女に伝わってしまったのだろう。此の儘帰って此の出来事に蓋をして、何も無かった事にしてしまいたいとも一瞬思ったが、抗議の言葉を耳にすれば手渡されたスマホを素直に受け取って言われるが儘にロックを解除する。スマホのパスワードにまで自身が浸透していると知れば擽ったい様な気恥しさも感じられるが、今は其れよりも。)…ごめん、ゆりあに対して怒ってるわけじゃないんだ。唯、自分が許せないだけで。(サッカー部の彼が去って直ぐに彼女が独り言ちた、報告する相手が誰かなんて最初から気付いていた、彼女が画面を見せて来たのは屹度、自身の態度の所為だ。そっと画面を暗転させて、然しスマホへと落した視線は其の儘に、謝罪を告げる声は少しだけ震えていたかも知れない。)昼休みに、俊弥が告白するんだって言いに来たんだ。…俺、何も知らなくて、後押ししちゃったんだよ。本当に、馬鹿だ。(高さは殆ど変わらないけれど、自身よりも幾らか華奢な彼女の背中に向けて、悔いる様に絞り出すように「…あの時止めていれば」なんて呟くのか。自身が止めた所で、彼が従うとも思えなかったけれど。)
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(背中越しに彼の言葉を聞く。彼が自分に対して怒っているわけではないと解ればホッとしたけれど、続いた言葉には彼には見えていないのを良い事に苦笑浮かべ。)……本当、馬鹿ね。(そう言えば、振り返って悔いる様な彼の姿を見遣ればその頬に手を伸ばす。そっと白い頬を撫でたかと思いきや、徐にむに、とその頬を摘まんで。)告白してきた相手が渡辺君だろうが他の人だろうが、貴方以外の人だったら答えは一緒なの。それを一番解っているのは誰?私、そんなに信用ないかしら?それに、告白しようって決めた相手を止めるなんて出来やしないわ。…それも知ってるでしょ?(彼が止めたところで、クラスメイトが告白を取り止めたとは思えない。それに後押しをしようがしまいが答えなんて最初から決まっていたのだから。好き勝手に言葉を並べたのなら、今度はくすりと笑って。彼の頬から手を離せば一歩彼に近づこう。そして――触れたのは一瞬。僅かばかり赤くなってしまった彼の頬に口付け落とせばくるりと背中向けて「帰ろ。」と。鞄に手を掛ける後藤の耳は真っ赤だ。)
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(頬を滑る指先、其の手には目もくれず苦笑を湛えた面貌を捉える。馬鹿だと云う彼女の言葉を幾度も反芻しては後悔の念に苛まれるのだが、不意に頬を摘ままれたならぴくりと肩を揺らし「いてっ、」と反射的に声を漏らす。勿論痛みを感じる程強い力では無かったのだが。突然の所作に対する驚きから双眸を見開いたが、其の侭紡がれる彼女の主張、想いを耳にすれば徐々に眇めて行く。語尾には疑問符が付けられていたが、自身からは何も言葉を発しない、答えを求めている様では無かったから。手が離れて行ったと思いきや今度は其処に口唇が寄せられて、双眸を忙しなく瞬かせる。ほんの一瞬だったが其の感覚は妙にリアルで、蓋をする様に自身の掌で頬に触れる。顔が熱くなるのが自分でも判ったが、背を向けている彼女が其れ以上に照れているのが見て取れる、小さく笑って「わかった。」とだけ返して。屹度嫌がるだろうから、顔は見ないようにし乍ら二人教室を出る。それに自身の顔ばせも見られたくなかったのだ。)…ゆりあのこと、信用してない訳じゃないし、告白されたら俊弥の事意識すると思った訳でも無いんだ。応えられない想いを告げられたら屹度、困ると思った。ゆりあは優しいから。……さっきは俺が一番困らせてたけど。(長い廊下を並んで歩きながら今更になって先の遣り取りの返事をしてみようか。付け加える様に告げた言葉は、何時もの調子に戻っていた筈。昇降口で自身の傘を一瞥して、「…傘、忘れた。フレディまでで良いから一緒に入れてくれる?」とにこにこ笑い乍ら嘘を吐いては、許可も得ずに彼女の傘に入り込もうか。其れから自身が傘を持つと申し出よう。肩をぴったりくっつけて歩く折、交わされる会話は先の様な重苦しさは薄れ、殆ど元通りだ。彼女のバイト先であるフレディに着いたら徐に鞄から折り畳み傘を取出せば「じゃあ、バイト頑張って。また明日。」と意地悪な笑みで告げようか。後日、件の彼と鉢合わせた時に「昨日は残念だったね?」なんて大層爽やかな笑顔で告げたのはまた別の御話。)
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(彼が己を責める姿を見たくなくて。でもそれを上手く伝える術が解らなくて。どうすれば良いか解らないもやもやとした気持ちのまま、衝動に任せて彼の頬に手を伸ばして思いのままに言葉を並べた。最後の口付けは言葉にできない謝罪だったのかもしれないし、違うのかもしれない。これも勢い任せだったから、理由なんて後藤本人にも解らないのだ。)ん。(「わかった。」との言葉にはそれだけ返して、鞄を肩に掛け教室を出る。歩きながらの彼の言葉は無言で聞いて。「本当よ。」付け加えたような言葉はいつもの調子に戻っているように感じたから、こちらも冗談めかしてそう返そう。そして傘を忘れたという彼の笑顔にどこか胡散臭さを感じたものの、此方がなにか言う前に傘に入られてしまえばワザとらしい溜息とその後の微笑で、嫌がっていない事を伝えよう。短い時間かもしれないが、傘がなければ肩が触れる距離で歩くなんてまだ出来ないから。照れくさい気持ちが大きいけれど、幸せな気持ちも嘘じゃない。他愛ない雑談続けていれば、フレディまではあっという間。まだ雨は降っている、傘を貸そうかと口にする前に彼の鞄から出てきた折り畳み傘。それを目にすれば僅か目を見開いて。でもその顔は直ぐに呆れたような笑みに変わるのだけれど。「また明日ね。」軽く手を振って、去っていく彼を見送り、自分はバイトに精を出すことにしようか。後日「お前の彼氏性格悪ぃ。」と苦笑したクラスメイトに言われる事、後藤はまだ知らない。)
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