(午前11時の保健室、主は不在だが―)

(学校行事ともなれば真面目に取り組むがどんなに頑張っても運動音痴という事実は覆せない。体育の授業であれば態度も評価されるけれど体力テストは結果が全て、記録用紙には悲惨な数字が並んでいる。だからといって悲観的になる性格でもなく、テスト一つ一つを淡々とこなしてゆくのだが。悲劇はグラウンドで起こった。生徒が投げたハンドボールが背中に当たってバランスを崩し転倒、背中は痛いし膝も擦りむいた。ボールを投げた生徒は付き添うと申し出てくれたが、そこまで重傷ではないのでお断りして保健室に赴く。戸をノックして「失礼します」と入室するも保険医の姿が見当たらない。少し席を外しているだけだと思うが待っていても仕方が無い。傷口を洗うと椅子に腰掛け自ら消毒を始める。自慢できることではないが保健室の常連なので何処に何があるのか分かるのは不幸中の幸いか。)

(運動が得意というわけではないのだけど、ポジティブな中村。学校行事はいつもと違う新鮮な気持ちになるので、今回のスポーツテストもわくわくしていたのだ。だけど、ちょっとしたハプニングが。50m走のとき、張り切りすぎて盛大に転んでしまったのだ。友人に笑われたり先生に心配されたりした中村は、照れ笑いしつつも砂埃がついたジャージをぱんぱんと払い、保健室へ。手のひらをすりむいて、大したことはないが血が出ているのだった)失礼しまーす、先生、手当お願いしても〜…あ、(怪我をしていない方の手でゆっくりドアを開けながら、のほほんと声をかける。しかし、先生の姿はなく、代わりに男子生徒を発見)先客さんがいたんだねぇ。先生は…席を外されてるのかな?(彼も怪我をしていて、自分で手当をしているのだと気づいた。彼の様子を伺うようにしながらも、そう尋ねてみて。青い小花柄のシュシュで結ったポニーテールが、ふわりと揺れる)

(カラリと遠慮がちに戸が開き見慣れない少女が現れたのは、傷口の手当てを粗方済ませて絆創膏の剥離紙を剥そうとした瞬間のこと。穏やかな声色で最初に告げられた言葉は不在の保険医へと向けられた様だった。手を止め視線を入口へと向け、今度は己へと向けられた問いを受け止めると小さく頷く。)保険医は俺が来た時からいなかった。すぐに戻ると思うぞ。(それだけ云うと一度視線を彼女から外して怪我をした膝へ向けて、そのままになっていた絆創膏を貼ってしまうと、彼女へ視線を戻して緩く首を傾げ)それで、何処を怪我したんだ?…俺で良ければ手当するが。(その後の行動は彼女の返答次第。もしも手当を任せてもらえるならばまずは傷口を洗い流すように告げ、それも既に済ませてあるならば「そこに座って」と向い側の椅子に掛けて貰うよう頼むとしよう。手当は保険医が戻るまで待つというのなら、やはり椅子に掛けるよう頼むのは変わらないが己は邪魔にならないようにテストへと戻るつもりで。)

そっかぁ、タイミングが悪かったかな〜。…あなたも、けがしちゃったの?(保険医がいないことを知れば、困ったように眉を下げた。それから、彼のけがのことも尋ねてみて)えっ、いいの?わあ…じゃあお願いしようかなぁ。あのね、手のひらなんだ〜(彼の提案に、最初はぱちぱちと目を丸くした。いいのかな?という気持ちもあったが、それ以上に彼のご厚意はとても嬉しい。朗らかに微笑みながら、ありがたくお願いすることにしよう。傷口はグラウンドの水道で洗ってきたことを伝え、彼の向かい側にある椅子に腰かけて)50m走でね、はりきりすぎちゃって…ずさーって派手に転んじゃったんだぁ(と、照れくさそうに笑いながら話した。体操着の汚れは払ってあるものの、うっすらと砂埃の跡がついているのがちょっと恥ずかしい。擦りむいた手のひらは、出血こそ大したことはないがじんじんと沁みるような痛さがあった)えっと、お願いします(彼の方へ手を差し出しながら、言葉をかけよう)

こればっかりは運が無かったと思うしかないな。…俺はハンドボールが被弾して転んだ。(眉を下げて困り顔の彼女にはそう諭し、怪我をしたかという問いには外での出来事を端的に告げて。少し悩むような素振りも感じられたが、どうやら手当を任せて貰えるようなので小さく頷く。手を洗ってきたというので、さっそく傷口を見せて貰おう。)…そうか、それは災難だったな。自分の能力以上に速く走ろうとして転ぶのは良くあることだ、俺も経験がある。…本当はやらない方が良いんだが、砂がついたし黴菌が入ってるかもしれないから一応消毒しておくぞ。(彼女の説明を聞けばその状況が目に浮かぶ、無表情を崩すことなく己の見解を告げてから、念のために傷口を消毒すると伝える。一度立ち上がるとピンセットでつまんだ脱脂綿に消毒液を染み込ませ、椅子に腰かけ空いた片手で彼女の手を取る。「少ししみるかもしれないが」と前置きをしてから、ちょんちょんと優しく触れるように消毒面を当てるとしよう)そういえば…この手は利き手なのか?

そうだねぇ〜…でもこうして手当てしてくれる人がいるんだから、運はよかったかもしれないよ。わ、それはそれで…。あざとか、できてない?大丈夫?(彼の言葉にこくっと頷いてから、すぐに明るい表情になって握りこぶしをつくる。彼の怪我の理由を知れば、心配そうに眉を下げて)なんかこういうテストのときって張り切っちゃうんだ〜。え、あなたもなの?うんっ、よろしくお願いします!(彼も自分と同じ経験があるのだと聞けば、意外そうに目を丸くして。消毒すると聞けば、しみるだろうな〜と思いつつも覚悟を決めたような表情になった。脱脂綿が右の手のひらに触れれば、たしかにちょっとしみる。「うぅ…やっぱりこの感覚は慣れないねぇ」と眉を下げながら笑おう。彼に聞かれれば不思議そうにしながらもふるりと首を振る)ううん!わたし、左利きだから違うよ〜。どうして?

小さい怪我で良かったな、あんまり重傷だと俺も役に立てなかったかもしれない。痣…もしかしたら出来てるかもしれないな、さっきから熱を持ってる感じがする。けど大丈夫だ、心配には及ばない。(背部の現状を伝えれば益々心配されてしまう気がしても、嘘が付けない性分は此処でも健在で。心配要らないと伝える言葉には何の根拠も無い、強いて言うならば己の経験上大した問題無さそうというくらい。)運動部とか、毎日身体を動かしていれば大体自分の能力も分かるんだろうが…君もばりばりの体育会系ではないだろうし、頑張り屋も良いがあんまり無理はしない方が良いだろうな。(張り切ってしまうという心理は分らなくもないが、矢張り滅多なことはするものではないと、相手を気遣い掛けた言葉だが淡々と告げれば戒めに聞こえるだろうか、年がら年中怪我をしている己が言えたことではないけれど。軽く触れただけでも少し染みたらしい、笑いながらも投掛けられた言葉には小さく頷き「ああ、慣れるべきものでもないだろう。」と。使用済みの脱脂綿をゴミ箱へ捨てると、今度は傷口を覆いきれる大きさの絆創膏をゆっくりと貼る。)そうか左利きか。利き手じゃなくて良かったな。(どうして、という問いには答えずに、デスクのブックエンドに立ててあったバインダーを手に取り、ホルダーに備え付けられたペンで何かを記してから、ペンをホルダーに付け直して彼女に差し出す。)…保健室利用者名簿だ。クラスと名前を書いてくれ。(名簿の最終行には日時や怪我の状況などが記入済みで、学年クラス名前の欄が未記入になっている。その一つ上の行には、3年2組白石翼と記されている。)

うん、本当によかった。だって重傷だったらおいしいご飯が作れなくなっちゃうもん!…そう?…うーん、あんまりつらいようだったら、すぐに病院とか…ここの先生に言ってね(彼の現状を聞けば眉を下げるものの、あまりしつこく念を押すのも失礼だと思い、その一言に留めよう)そうだねぇ…気をつける。…あ、これから運動習慣をつけていけば、怪我とかしにくくなるのかな?(彼の言葉は淡々としているけれど、そういう人柄なのだろうと思った。丁寧に手当をしてくれたし、きっと優しい少年なのだとも。なので素直にこくりと頷きつつ、ふと思いついたことを口にして。絆創膏を貼ってもらえれば、へへ〜っと嬉しそうに笑うのか。利き手じゃなくてよかった、と話す彼の真意はわからなかったが、「うん!」と明るく頷いた。利き手を怪我すると何かと不便だからかな、と予想しながら)は〜い!…それにしても、すごく慣れてるんだねぇ。保健委員の人みたい(彼から差し出されたペンを受け取り、せっせと名簿に所属と名前を書く。3年5組中村和花、と丸っこい字が記されて。中村の前にある彼の名前を見て、)…白石くん、っていうの?…本当にありがとうね!おかげで助かっちゃった(彼の名前が書いてあるところを指さしながら、彼にそう尋ねた。そして、名簿を差し出しながら改めてお礼を言おうか)

手が使えなくなると不便が多いからな。君は料理が趣味なのか?…ああ、大丈夫だ。良くあることだから。(矢張り心配を掛けてしまったが、小さく頷いて彼女の一言を守ることを約束する。)…そうだな、積極的に身体を動かすのは効果的だが、部活でもしていないと難しそうだ。毎日少しランニングするくらいなら、良いと思う。(彼女の言葉は御尤もで、同じ事を考えたことがあったが上手くいかなかった苦い経験もあり、強く勧める事はしないが否定もしないようにと言葉を選ぶ。彼女がもし利き手を負傷していたなら名簿への記名も代わりにした方が良いと思ったが要らぬ心配であった。質問されたのに答えなかったのは、その説明自体が「不要なものであると感じた為。)ん?そうだな。保健室の利用者ランキングがあれば上位に入っていると思う。…全然自慢にはならないが。(彼女が名簿に記名する様子を見遣りつつ、慣れていると言われればそんな言葉を落としていく。記入が終った彼女から差し出された名簿、そこに書かれた己の名を指差し問われたので、名簿を受け取ってから頷く)…ああ。いや、気にしないでくれ、ついでだから。(そう告げると受け取った名簿に目線を落とし、彼女のクラスと名前を確認してからバインダーを元の位置へと戻して。)…俺はそろそろテストに戻るが…中村さんも、もう行けそうか?(背部の違和感は拭えないものの、一先ずは手当も終わったのでそう声を掛けて。彼女も戻ると言うのならば、グラウンドか体育館か、目的地まで或いは途中まで共に行くことになるだろう。もう少し休憩していくならば、「それじゃあ、また。」と短く別れを告げて1人テストへ戻って行くだろう―)

うんっ!寮で暮らしてるし、ご飯は毎日作ってるよ−。よくあるの?…ふふ、意外にドジっ子さんなんだねぇ(彼の言葉を聞けば、鈴の転がるように笑い声を立てつつ明るく言って)そうだねぇ、自分でするなら、ランニングとかウォーキングとか、軽いものの方がいいかもね。…あ、柔軟体操は毎日やってるよ〜、だから体はちょっと柔らかいかも(慎重に言葉を選んでくれている様子の彼に感謝しつつ、和やかに微笑んで。腰を曲げて、手のひらをぴたっとくっつけてみせて)病気や怪我が多いってことなら心配だけど…でも、白石くんが保健室の勝手をよく知ってくれていたから、わたしは無事に手当してもらえたんだよ。だから悪いことばっかりじゃないよ(ほのぼのと笑い、手当をしてもらった右手をぱーっと広げて見せて)うん、じゃあ途中まで一緒にもどろっか(彼に問われればこくんっと頷き、共に保健室を出よう。分かれ道になれば、「うん、またね〜」とにこやかに手を振ろう。彼の背中の具合が快方に向かうことを願いながら、後ろ姿を見送るのだった。そして今回助けてもらったので、次何かあれば自分が力になりたいなあなんて、ぼんやり考えて――)