2年3組 // ゆりあ、お待たせ。

(稍回り諄い言葉で取付けた約束の日、三月の第二木曜日。先月行われた調理実習の御陰で今年は例年以上の菓子を受け取ったが、調理実習で作ったチョコを貰えば自身も同様に調理実習のチョコをその場で返した為に今日の仕事は例年以下だった言えよう。放課後を迎える頃には一人を除いて其の全てを済ませていた。HRを終え通学用のリュックを背負い向かったのは二つ隣の教室前。扉から出てきた生徒から如何したのかと問われれば、まだ中に誰かいるかと逆に問う。複数人いることが分かればポケットからスマホを取出しぐるちゃを開き「ごめん、少し遅れる。」と短いメッセージを送って再び戻す。程無くして最後に出てきた生徒に再び教室内に誰かいるか問えば、一人だけだと返事が返って来た。不思議そうな相手にはにっこり笑顔で謝辞を告げ、去って行くのを見送ろう。小さく息を吐いてから静かに教室の中へ―)…お待たせ。ごめん、遅れて。ホームルームが長引いたんだ。(彼女の隣の席、机上にリュックを置いてから椅子に横向きに腰掛け、小さく微笑み平気な顔で嘘を吐く。二人きりになりたかったと素直に伝えられる程の素直さは持合せていないが故。尤も見破られてしまったとして困る事は無いけれど。)

(三月の第二木曜日。普段よりも早く目覚めてしまったし、授業もいつもの様には身が入らない。唯一昼休みには平静を取り戻せたけれど、午後の授業になればまた集中できずにいる様子。それもこれも彼のせいだ…と責任転嫁はしたくないけれど。三月の第二木曜日が何の日か、ぐるちゃが送られてきてすぐに気付いたし、その日を指定されたことで賭けに勝った事を悟った。――HRを終え、いつもよりゆっくりと帰宅の準備。直ぐに来ないであろうことは予想できたし、来てほしくなかったのも事実。「ゆりあ、帰らないの?」と友人に問われれば、丁度鳴ったスマホを見てから「用事ある。」と簡潔に告げて友人を見送ろう。帰宅準備を終えれば、荷物が入った鞄を机の脇に掛けて。机上にはスマホだけを置く。頬杖ついて外を眺めるフリをしながら、一人また一人とクラスメイトが出ていく様を感じていた。)…大丈夫。そう、お疲れ様。(教室内に人が入ってくる気配を感じれば、視線をそちらに向けて。微笑浮かべ彼を迎え入れよう。彼の小さな嘘、後藤には嘘か真実か判断はつかなかったから無難に返す。嘘であったら良いな、とは自身の勝手な思いだから。横向きに腰かける彼に対して向かい合うのはなんだか照れくさい。前を向いて座ったまま、顔だけ彼の方に向けて。)……今日は…どう、したの?(話の切り出し方が解らなくて。彼の様子を伺う暫しの間の後に、伏し目がちにそう問うた。)

(自身の嘘を彼女が如何思ったかは分らぬが深く追及されなかった事にはひっそり胸を撫降ろし、「ありがとう、ゆりあもお一日疲れ。」と付け加えた。椅子に腰掛けてからは身体が向合わない事が少々気になり乍らも、彼女からの問いに「ああ、そうだった」と机上の鞄に手を入れ取り出したのはコーラルピンクの不織布バッグ。白いリボンで結われたその中身は瓶詰にされた手作りのカラフルなメレンゲクッキー。作り慣れていない為に何日も何度も失敗しては自身含む家族で消費する事となってしまったが、苦労の甲斐有ってか味も形も満足の行く出来栄えだった。其れを彼女へと差出す。)先月はありがとう。ゆりあに貰った物が一番美味しかった。…去年よりも。(直接渡される事は無かったあのタルトショコラは彼女からだと確信していたから、敢えて確認等せずに謝儀を伝えよう。去年も勿論美味だった上に高級ブランドのチョコと比べるのも可笑しな話だが自身の主観も含めると強ち嘘では無かった。彼女が其れを受取ってくれたなら嬉しそうな笑みを浮かべて「それから……」と少し勿体ぶる様に切出すのだろう。)

(問いかければ、差し出されたコーラルピンク。白いリボンが少しだけ眩しく感じるのはきっと気のせい。)……良かった。どういたしまして。(直接渡すことなく、しかも差出人の名もない贈り物。その中身は後藤からだという事をアピールしてはいたけれど、それが精一杯だったのだ。彼ならば自分からだと気づくだろうとは思っていたけれど、気付かない可能性だってあった訳で。決めつけたように謝辞を伝えてくる彼の言葉が嬉しかったし、後藤自身無意識にそれを望んでいた。はにかんだ様に小さく笑って受け取るものの、言葉はあまり可愛らしくない。でも、それはブラウンの紙袋の送り主は自分であることを肯定することの方が先だと思ったから。だから受け取ってから「ありがと、嬉しい。」と口元緩めるのだ。嬉しいの意味は、一つではない。――そして受け取ったそれを大事そうに手で包み込んで。勿体ぶるように切り出した彼の顔を見上げる。その表情は、何かを期待しているような。でも強がっているような。だがどこか不思議そうな…見る人によって捉え方が変わるような、複雑な表情。彼の瞳を見つめながら「それから、」の続きを待つ。)

(どういたしまして、返って来た言葉と小さな笑みは概ね予想通りの反応だった。あの贈り物が彼女からであったと自身が気付く事を彼女も分かっていたのだろう。自身が彼女について褒める時は何時も短い言葉で返してくるのを知っている。一見すると素っ気無い態度でも自身の言葉を確と受け取ってくれている筈で、それだけ解れば十分なのである。差し出したお返しを受け取ってもらえれば「手作りだから、味は保証しないけど」なんて少し照れたように伝えよう、何度も練習しただなんて言える訳が無いのだから。それから、と切り出すと此方を見上げてきた彼女と目が合う。束の間の後、再び口を開く。)春に話した事、覚えてるかな。ある人…ええと、お茶目な先輩?の事、……好きだった?(紡いだ言葉は待っていた其れとは違ったかも知れない。最近会っていないと云う其の人は彼女にとって最早過去の人なのかも知れない。それでも今聞いておきたくて、ゆっくりと問うた顔ばせは少し神妙で、いつもの余裕は何処へやら。)

(受け取ったお返し。中身はまだ見ていないものの、手作りと聞けば驚いたように小さく目を見開いて。彼が料理やお菓子作りをするなんて聞いたことがなかったし、そんなイメージもなかった。寧ろピアノを弾く彼は逆にそういったものは出来るだけ遠ざけているのでは?勝手にそう思っていた。だから袋の中身は既製品だと思って受け取ったし、彼が自分の為にと選んでくれたものならば…それで十分だった。だから意外ではあったけれど、嬉しい…いや、幸せな驚き。手で包み込んでいたそれをぎゅっと持ち直す後藤の表情は、滅多に人には見せないものだった。そして目が合い、彼が口を開くまでの僅かな間がとても長く感じられて。)……恋愛感情とかそれに近しい感情は、その人に対して持ったことない。(正直なところ、期待した言葉ではなかった。だけど、今の後藤は彼に真っ直ぐ向き合いたかった。だから、言葉を選びながら紡ぐ。誤解を与えたくなかったから。ゆっくりと言葉を紡ぐ後藤の表情は、彼と同じくらい神妙なものだった。)

(自身の発言に因り彼女が驚くのも無理は無い、其れ位に自身とお菓子作りは結び付かないのだ。然し後に彼女の浮べた表情は今までに見た事が無く、其の面差しを見遣れば言葉には言い表せぬ擽ったい様な不思議な気持ちが芽生えるのを感じていた。その顔をもっと見ていたいとも思えたが今日の目的の全ては未だ果たせていないのだ、名残惜しくもゆっくりと問いを投げ、返って来た応えには気になって問うた筈なのに「そう、」と驚くほど素っ気無く短く返すのだ。再び少しの間を取ると「…変なこと聞いてごめん」と今度はくす、と薄く微笑んで。)ゆりあはさあ、いつも真面目だよな。夢があって、努力してるっていうのもあるけど、それ以外でも、いつも。そういう真面目な所も、凛とした所も、好きだよ。だけど、そうもいられない時…例えばゆりあが辛い時とか苦しい時に、傍にいたいと思うんだ。…好きです、俺と付き合って下さい。(そう静かに連ねた言葉は自身でも驚く程に円滑で、表情も何時しか柔らかいものへと移り変わっていた。)

(誤解のないように、そう考えながら選んだ言葉は間違っていなかっただろうか?素っ気なく返ってきた言葉だけでは判断できなくて。しかし直ぐに微笑み浮かべる彼に、間違っていなかった。そう思うのは尚早だろうか?気持ちだけが焦る。――静かに彼の口から滑り出た言葉を、じっと彼の瞳を見つめながら聞こうと思ったけれど。最後までは無理だった。いつの間にか溢れていた涙がぽたりぽたりと零れて、彼の顔が良く見えない。それでも、言葉はしっかりと届いていた。だから。一度俯いて指で目元を拭って、不織布バッグを机に置く。それから身体をしっかりと彼の方に向けて、クリアになった視界で彼をしっかりと見つめ。)……私も、好き。白鳥くんが好き。傍にいてほしい。だから、よろしくお願いします。(そう言って、笑顔浮かべたつもり。だけれど、拭ったはずの涙がまた溢れ出してきて、また視界が霞んできた。)

(今日と云う日を迎えてからは教室に向かう時も彼女と対面した瞬間も気は漫ろであった。しかし秘めた自身の想いを告げる時は如何してか嘘の様に落ち着いていた。言葉の最中で彼女の瞳に涙が浮かんだのに気付いたが、それでも言い切ってしまおう。涙を拭った彼女が此方へ体ごと向け告白の返事を貰うまで、数秒の事だったと思うが矢鱈長く感じられた。待ち侘びた言葉は自身が望むものに他ならず、潤む瞳を見詰める笑顔は喜色を湛えながらも何処か困った様に眉根を下げて)良かった、褒め言葉として受け取っておくわ、っていう返事も少し想像してた。…ありがとう、好きだよ。(再びそう告げると、徐にポケットから何かを取り出したかと思えば今度は手を伸ばして彼女の右手を取る。其の小指に、ポケットに忍ばせていたピンキーリング―ピンクゴールドで緩やかなウェーブデザイン、中央にジルコンが三石施されている―を嵌める。彼女の友人から事前に調査はしていたがサイズが合ったことに安堵の息を吐き)少し早い誕生日プレゼント。おめでとう。

(溢れてきた涙は、彼の言葉で止まった。)……何それ。って言いたいけど、否定出来ないわ。(涙の代わりに浮かんできたのは苦笑。指先で涙拭いながら困ったように眉を寄せる。彼の予想は強ち間違っていない、相手が彼でなかったらそう言っていた可能性は高いと自分でも思うのだから。しかし「好きだよ。」そう再度言われたのなら嬉しそうに口元緩めて。「私も。」と告げるのだ。)……?(徐にポケットに手を入れる彼を不思議そうに見遣る。今度は何だろう?そして右手取られて小指に指輪嵌められたことを知ったのならば、僅か頬を染めて。どうしてサイズを知っているのかとか、聞きたいことはあったけれど、それは後でにしよう。)可愛い、ありがと。大事にする。(俯くようにして己の小指見つめて。嬉しいのだけれど、それ以上に照れてしまって彼の顔を見れないでいた。)

普段から素直じゃないからなあ。そう云う所がゆりあらしいんだけど。(苦笑する彼女の目許から溢れた涙が止った事に小さく息を吐いては軽口を叩く口許に微笑浮かべる。確かめるかの様に再び告げた鍾愛の言葉。返ってきた返事は今度は穏やかで、鼓動は飛跳ねる様に特別速いと云うのに何処か冷静に安堵して、今日の目的を果すべく脳は指示を出し続けている。彼女のか細い手を取り小指にするりと嵌った其れは、今日の為に短期アルバイトで溜めたお金で買った物。自身らしく無い行動を知られてしまうのは気恥しいもので屹度彼女に告げる事は無いだろう。そっと彼女から手を離し、視線を落とし其れを見詰め気に入って貰えたであろう反応に首肯一つ。)うん、良く似合ってる。(彼女の目線が小指に向いた儘で良かったと思う。今見られたら屹度目を逸らしてしまったかも知れないから。徐に立上ると「そろそろ帰ろうか、」と何時もの調子で声を掛ける。共に帰路へ着く二人の距離は物理的にも少し近付いただろうか。少数ではあるが未だ生徒達の残る学内で堂々と手を繋ぐなんて事は出来ないけれども。)

それ、白鳥くんが言う?(くすり、笑みは勝手に浮かんできて。お互いに素直な方ではないけれど、それでも彼を大切に想う気持ちは本物だから。彼の言葉に鼓動は今迄にないくらい速く打つけれど、でも気持ちはどこか穏やかで晴れやかだ。彼と自分の想いを意識しすぎてしまって、直接渡せなかった丁度一月前のあの日。あの朝の気持ちと今日のこの気持ち、忘れたくないと思う。そんなこと、口には出さないけれど。小指に嵌められたピンクゴールド、並んだジルコンの輝きが少しだけ眩しい。似合っていると言ってもらえたなら、小さく頷いて。声を掛けられれば、同じく立ち上がって。先に貰ったお返しを鞄に仕舞えば共に教室を出よう。まだ人が残る学内で手を繋ぐことは恥ずかしいけれど、いつもより半歩分、彼に近い距離。そして別れ際、「今日はありがと。また明日ね……春樹。」そう言えば逃げるように踵返して去っていくのだ。若しかしたら、真っ赤に染まった耳が彼に見られているかもしれないけれど、今の後藤にそこまでの余裕はなかった。――3月14日、新しいふたりのはじまりの日。)